やなことばっか思い出した午前二時

生きていくこと、仕事のこと、恋のこと、忘れてしまった大切なこと。三十路男の青春。

真夜中03:「毒親」

ストレートな就職道をこなかった僕は、現在で4社ほどを転職で渡り歩いている。

 

最初の会社が一番給料的にも拘束時間的にも良かったものの、感覚的にはフリーターだったし色々な意味でちょっとやばい感じの業界、会社だったので、2社目からまともな社会人なりました感が大きい。

 

その時の年齢は28歳。

僕は精神的にもステータス的にも、実年齢よりもマイナス5~6歳のラグがある。

 

感情のコントロールができない人格障害のサイコ野郎な父親(警察官)がずっと恐ろしく、思考停止をヨシとする環境でいいなりに育ったこともあり、自我が芽生えたのが19歳、反抗期が芽生えたのが20~21歳くらい。

両親の教育が子どもに与える悪影響をたっぷり受容したおかげでこんなことになっている。19歳の頃に大学進学と同時に毒親から離れられてその異常さに気づき、自我の形成に遅れを取った。

 

実際、歳が2つ違う妹はずっと実家にいるせいで、精神年齢と表情や発言内容と行動なんかが10代で止まってしまっている。子どもが持つような小物とマンガなんかで部屋は溢れかえり、昔はスリムだったのにいつの間にかサイズが倍くらいになっていた。

毒親が提供する環境には、たしかにある種居心地の良さみたいなものが(そらまあ家族だしね)あるのかもしらんが、絶対的に人間は実家から出て一人暮らしをして然るべきと思う。

子どもの頃から全く環境が変わらないというのは異常だ。

 

実家、一人暮らし問題を議論すると、大抵の実家住み組みはこう言う。最終兵器や必殺技でもあるかのように言う。

 

「他人の大家に家賃入れるくらいなら実の親にお金落としたいから」

 

左様か。なら問うが、貴様は一体月にいくら実家に入れておる?(言葉がむちゃくちゃだな)

こういう質問をすると、少なくとも僕が聞いてきた中では二桁いく実家野郎はいなかった。相場としては3~5万円といった印象。

 

もちろん生活のロイヤリティがかからないのは実家暮らしの大きなメリットだ。

例えば家賃6万のアパートに住むとする。家賃6万、光熱費ネット料金2~3万、携帯スマホ代1.5万、と、一人暮らしというプラットフォームを確保するだけで余裕で10万以上が消えていく。これを実家で賄えば、大部分を占めている家賃光熱費ネット料金が浮くわけで、いいぬるま湯ですわ。

 

けどここで考えてほしい。子どもの頃と同じ環境のまま、はたして心を成長させれるだけの器が自分にあるのかと。

学校が小学校から中学校に、高校から大学に変わったのと同じ感覚で社会人になり、家に帰れば母親の作った飯がある。これで自立心は育つんだろうか。

 

「他人の大家に家賃入れるくらいなら実の親にお金落としたいから」

 

こう言う実家野郎にはこう返すことにしている。

 

「他人に落とす金で、自立心と自立心を育てる孤独を買うんだよ。みんな」

 

一人暮らし、最初はさみしいものだ。風邪をひいて熱を出しても一人。会社でいやなことがあっても一人。くらい部屋で一人テレビを点けたまま何かをはじめようと震えても、一人。

休日なんかはもっとさみしい。下手すれば目覚めた瞬間から寝るまでの間、一言も言葉を発さないなんてことだってある。僕は一時期、あまりに気が狂いそうで金曜の帰り道に近所のツタヤで映画を10本くらい借りてきて、週末マラソンのように映画を見続けていた時期が1年くらいある。恐ろしくたくさんの映画を見たはずなのに、現実逃避を主たる目的にしていたため各作品のディティールがほとんど心に残っていない。

 

と、まあ、友人や恋人のいない一人暮らしはえてしてさみしい。これが原因でアル中になる僕のような人間や、SNS中毒から出会い中毒になりセックス中毒になる人間がたくさんいる。

 

でもね、そういう「日常の孤独」みたいなものをしっかり体験する下地があるからこそ、赤の他人なのに日常や孤独を共有できる恋人ができたときにそのありがたみが身に染みると思うのだ。

会社から帰る電車の中で、どうでもいい日常のトピックスを語り合える相手がいるということは幸せなことだ。

 

結論、親とずっと一緒にいると大抵の場合マイナス要素がどんどんふえてくよ、ということ。

毒親のゆるやかなネグレクトや虐待からは脱出しなければいけないし、ぬるま湯は浸かりすぎると水になってても気づかない。ツイッターなんかで、イイ歳なのに「ババアが玄関でなんかごそごそやってて寝れない。うるせーwwwマジうぜぇwww」とかつぶやいてる人間は、精神年齢が10代で止まっているんだよ。

 

ただでさえ、社会で普通に生きていくコツがつかめず、生きにくい毎日を送っている僕は思う。もし今までずっと実家住みだったらどうなってたんだ?オレ?

それは、現時点で実年齢より5~6歳精神年齢が低いことを認識し、周囲との軋轢に難儀している身として、とにかくぞっとするパラレルワールドだ。

真夜中02:「ルールはこっそりやぶるもの」

お盆の大型連休である。

僕の職場もありがたいことに、8月11日から8月20日まで9連休だ。

 

しかし僕は今週ずっと、ほとんど人のいない会社に出社している。

9月のシルバーウィークで9連休とる方を選んだため、特に仕事もなくモチベーションも最低なものの「形だけ出社」でお茶を濁しているのだ。

 

考えようによっては、気持ち的にもほぼ休みみたいなものだし、大型連休を2回取れるともいえなくない。

ちなみに初日のタイムテーブルはこのようなもの。

 

3時間仕事する。

3時間満喫で「ダイの大冒険」読む。

2時間会社の仮眠室で「ドラクエ11」やる。

 

もはや席にもいなかった。

翌日からは考えを改め、イラレやフォトショのスキルアップをしたり業務関連の書籍を読んだり、なんとか「仕事」につながるようにはしている。

 

さて、ここで思うのが、本来であれば今は「会社指定の夏季休暇」であり、休暇取得期間をずらした僕以外は「休日」であるということ。

つまりは僕のデスク以外は誰もいなくて電気すら点いていないという状況であって然るべきなのだということ。

 

なのにいるんだ。中途半端なオフィスカジュアルで無許可の休日出勤してる人間が。

 

ここで僕の勤めている会社の勤怠制度(就業規定)の簡単な制度を説明すると、

 

・完全週休二日制(土日祝)

・休日出勤は原則禁止、業務上やむを得ない場合は事前に上長に申請し、許諾を受けた時のみ可能。その場合は代休取得が必須

・22時以降の残業についても原則禁止。やむを得ない場合は上記同様

・勤怠時間は自己申告制のWEBタイムカードで管理

 

ざっくりこんな感じで、当たり前の話

「タイムカードでしっかり勤怠管理して、無許可の休日出勤や深夜労働や残業は禁止です」

ということ。これはまじルールであって、守られて当たり前のきまりなのだが、無許可で休日出勤してる人間がフツーに何人かいるという状況が恒常化しているわけで、つまり機能していなく制度そのものが破綻しているということになる。

 

「仕事熱心なのはイイことだ」

という人もいるかもしれない。けど考えてみてほしい、ルールで

「ここからここまでの決められた時間で頑張りましょう」

と決められていることに対し、決められていない時間をこっそり使って進行するというのは、ズルであり卑怯な行為なのではないだろうか。

 

テスト時間が終わり回収されるテスト用紙。あとから先生の机まで行って、回収された束からこっそり自分の用紙だけ探して回答を足したら「不正行為」であり、推奨されない行為であることは子どもでも分かる。

サービス残業サービス出勤とは、それに準ずる行為なのではと常々思うのだ。

 

また、一部の人間がそうやってズルをしてボリュームをこなすことにより、ボリュームの前例が出来上がってしまう。まともにルールを守っていては到底達成できないその量を、ルールを守ってきちんと働いている多くの人間も目指さなくてはならなくなる。

こうやって個人に振り分けられる仕事量はどんどん増えていき、結果弊社のようなサービス残業サービス出勤する人間が恒常的にいる環境が形成されていく。

 

そういう人間は、ズルをしているんだから低評価なのが理想なのだが、会社からすれば数こなしているから高評化となる。

ルールを守っている人間が低評価で、ズルをしてる人間が高評価。社会って本当理不尽で意味が分からないものだ。

 

先日、月間MVP(月に1人選ばれ1万円もらえる)を取った同僚と話した。

なんか、あんまり嬉しそうじゃないから「なんで?どうしたの?」と聞いたら、

 

「2か月くらい自分の時間全然なかった。月に、タイムカード切ってるだけでも時間外労働80時間超えてるし、ちゃんと切れば絶対120時間は超えてた。土日に会社に泊まってほぼ徹夜だったり、日月火と三日徹夜したときは気が狂うかと本気で思った。家に帰っても持ち帰りの仕事やってるし、何回かホントに死のうかと思ったときもあった。過労自殺する人の気持ちわかったよ。これだけやってMVPで1万円よりか、普通に残業代もらった方が全然いいでしょ」

 

という答えが返ってきた。「就業規定」とは?

中には好きでやってるんじゃない人間も、当然ながらいるわけで(じゃあやるなよとも思ったが)。

けど、こういう人が前例を作る事で、過去実績ベースでの業務配分としてその呪いは次の人に引き継がれていくのだ。

 

僕はもう、この手の働き方は絶対にしないと心に決めている。

できないものはできないし、サービス残業やサービス出勤しなきゃ達成できない業務なら未達成で全然かまわない。「やりがい」とかいらないから労働基準法を守る場所で働きたい。

 

...と、思いながらも彼と同じ職場にいるということは、いつか自分にも呪いのお鉢が回ってくるかもしれないということだ。

 

 

今年の夏は、今日で17日連続で雨。なんとなく気持ちも重く、そうこうしてるうちに8月も半ばを過ぎた。浮かれた話の一つもないものかと、とりあえず受動的な期待を寄せてみる。

真夜中01:「あっという間の日々」

突然だが、僕は二十代の終わり頃から三十路に入るまでの一年数ヶ月、エロ本屋でエロ本やエロDVDを作っていた。

 

出版社や広告屋でのクリエイティブな仕事に憧れながら、日々口を糊するため替えの効くくだらないアルバイトのような仕事にいた頃、自分が三十路になるなんて考えてもいなかったその当時。

 

人に誇れない仕事をすることにほとほと嫌気がさした僕が、三十路を目前にさらに人に誇れない(しかも落ち目もいいとこの)エロ本出版社に就職した詳しい理由については追って説明したい。

とにかく、僕は二十代の終わりをAV業界の最先端で過ごしたのだ。

 

今年で33歳になる今、当時を振り返る。

余談だが、33歳という年齢は僕にとって、良くも悪くも人生の軌道をおかしな方向に持っていってくれたアーティスト「hide」が事故死した年齢でもあり、人生において大きなターニングポイントであると感じている。

 

...もとい、現在では広告屋で名ばかりのディレクターを勤めている僕がエロ本屋の当時を振り返る。

当時僕が一緒に仕事をした、同じ会社の同僚やセクシー女優(AV女優)のほとんどが今ではもう現役の一線にはいない。

僕を含め、矢面にたっている当の女優本人でさえほとんど数年でメンツが入れ替わっている。

 

野良猫と一緒で、なんとなく近所で見かけて知ってはいるものの気が付けばいなくなっており、別の似たような、かつ区別が付かないおんなじような奴が前任者と変わらないことをやっている。

自分のエロ本屋のキャリアを振り返り、その繰り返しのような気がしたのだ。

 

だがこの構図は、なにもエロ本屋業界だけではないのではないかとふと思った。

我々が今している仕事や人生、恋やプライベートも、安易に替えが効き別に自分じゃなくても全然何も問題ないことでしかないのでは。

現代に生きる全ての人は、別に誰でもいいしどうでもいいことに必死になっているのでは。

 

ネット上のオークションサイトで、当時一緒の仕事をしたAV女優の名前を検索する。

ほんの数年前なのに、彼女たちが出演したDVDは投げ売りの190円とかで十把一絡げに転がされている。

華やかな世界に目がくらみオトナにだまされ、失ってはいけない最低限の人間の尊厳を金に換えた若い女どもの末路が死屍累々と転がっているのだ。

回転が速い業界で一年ちょっとしかいなかった僕ですら、そう感じている。

 

生きてくとか、仕事するとか、マジもう意味わかんねー。

 

 

話が飛躍しすぎたが、このブログを始めようと思ったきっかけはこれ。

毎日行きたくもない仕事に行き、誰がやっても実はどうでもいい業務をさも自分しかできませんみたいにやり、気づけば他の誰かが自分に変わっておんなじことやってる毎日。

 

こんなことのために嫌な想い積み重ねて生きてんだっけ?

別にがんばる必要なんて本当はないんじゃない?

っていうか、自分って何?何のために何がしたくて毎日こんな嫌な想いばっかして生きてんだろう。

 

数年前のエロ本読んで、そんなこと思って

「毎日毎日本当にもうくっだらねーし別にがんばるのオレじゃなくてよくねーか」

 

と感じつつも、明日の仕事に備えてしまう自分だけのために「自意識の確認と浄化」を目的に始めてみる。

広告屋のくせにネットリテラシーの低い自分なので、質の保証はできないが、偶然どっかからとんできてここを見た同じような気持ちの方が同調してくれるような私情を垂れ流したい。

 

毎日必死に生きている三十路の男の気持ちを、ちょっとずつ形にできれば幸いである。

 

 

...これ、客観的に人に伝わるのかな。

まあ、いいか。後に自分が読み返すためくらいの気分でスタートしてみようかな。